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松浦亜弥の消化不良がグループ全体にもたらす利益

私はアイドルに対してテレビという媒体を通してしかほとんど触れない。テレビ以外では、
ヤングマガジンなんかの表紙にでもなっていれば、目に入ることもあるが「アイドルのグラビアページがあるから」という理由で雑誌を買うことはない。自分のことなので分かりにくいが、アイドルに対する距離感としては世間の平均値ではないだろうかと思う。

そんな私が、最近の松浦亜弥を見るにつけ感じることなのであるが、彼女は相当重たい荷物を背負わされていると思う。それって、あまり先に進み過ぎないように、ブレーキをかける意味での「荷物」。「荷物」というより「負荷」と言った方が近いか。役割とか責任とかそういう社会的なことだ。「大手財閥グループ」の「儲からない部門」の損失を負担している「儲かっている部門」というか、グループ全体の健全な経営のために「自分の仕事の部門は儲かっているのに、収入の少ないお父さん」というような趣きを醸し出している。

ハロープロジェクトを財閥とすれば、松浦亜弥はズバ抜けて儲かっている部門である。アイドルとしての能力(ビジュアル、その他テレビの様々な場面に対応できる賢さなど)の全てを装備していると感じるし、つんくがプロデュースした後の二次的な松浦のセルフプロデュース力というか、「いざ本番」という時の「自分に何が求められていて、何を供給すべきか」という感性の鋭さによる理解の質が、「あやや」が「あやや」たる所以であろうと思う。そこに来て、その能力をまるごと評価してくれるファンとの蜜月。さらには、その視線が徐々に、一般的な視線の中にも取込まれてきているようにも感じる昨今。もう、完璧。

ハロープロジェクトとしては、この「松浦亜弥」という超優良部門を特化していけば、「松浦亜弥部門」はまだまだ凄いことになる、もちろんこのことは理解しているだろう。しかし、そこが儲かり過ぎることによって、他の部門がさっぱりになるとまずいわけで、グループ全体の利益を考えれば、やはり松浦亜弥にブレーキをかけている方が有益ということなのだろう。で、「負荷」がかけられて、その「負荷」が「後浦なつみ」。紅白で後藤真希と並んでいる時の画面から溢れてくる圧倒的能力差。グループ全体の利益って10代の女の子に背負わすにしちゃ重過ぎやしないだろうか。もっとのびのびとやらせてあげたい、と個人的には思ってしまうが。

もちろん「後浦なつみ」のようなハロープロジェクトの抱き合わせ商法というのは、これまでもたくさん行なわれてきたわけので(「カントリー娘と石川梨華」とか「ミニモニ」に「モーニング娘。」以外の子が入ったりとか)それはそれで常套戦略である。しかし、これまでの「抱き合わせ」関しては、恩恵を与える側と与えられる側があって、恩恵を与える側(「モーニング娘」のメンバー)にも、「あ、あの子も恩恵を与えられるポジションまで来たのだ」という意味を世間が受け入れることによる恩恵があったわけだ。それによって個々に意味付けがなされ、いざ集合した時の「モーニング娘」が「すごいものに見える」という戦略によって「モーニング娘」は拡大してきた。で別にこのことは、今更声を荒げることでもないのだが、「後浦なつみ」に関しては、これまでの「抱き合わせ」とは全く違うということが言いたいのだ。どこが違うのかというと、恩恵を与える側である「松浦亜弥」にとってのメリットが皆無であるということ。「安部なつみ」に恩恵をあたえて松浦に何がもたらされるか。松浦亜弥のエネルギーを「なっちを救う」に向けるより、他のことに向ける方が松浦本人としても本意なのではないか。邪推ではあるが。みんなでゲームかなんかして遊んでいる時に、ズバ抜けて一人だけうまい子がみんなに合わせて手加減してあげている時の退屈。私は、松浦亜弥にその消化不良を感じるのである。

優良部門で稼いだお金を、不良債権を補ったり、新規の実験的な部門に融資したりしてグループの経営の健全な経営を助ける。ハロプロ、まさに財閥。そうこうしているうちに超優良部門「松浦亜弥」が消耗してしまわないことを願うばかりだ。月並みな言い方だが、松浦は十年に一人の逸材だろう。なんとかならないものか。

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by cilen | 2005-01-02 19:56


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